小池緋扇について

緋扇の思い出

緋扇の思い出タイトル

03 人形学院講師に

1927年、川崎プッペがフランスから持ち帰り始まった、ジョーゼットマスクの日本人形も、戦後には多くの愛好家が増え、各地に人形教室がつくられていきました。
人形創作をつづけていた私は、1957年にいくつかの試験に合格し「東京人形学院」の講師になりました。新米先生の誕生です。

東京人形学院は創設以来、特殊の技術者のみでつくられていた日本人形を大衆のものとしてその普及に力を入れ、財団法人「人形美術協会」も立ち上げて、様々な角度から研究を重ね、その存在と活動を人々に広めていきました。
私もやがて、師範、人形美術協会本部主任教授として、伝統的な風俗の研究や技術の開発のうえに、学院とともに、人形を単なる手芸から、立派な美術的・芸術的価値を具備する創作人形にまで高めていき、次々と新しい高度な技術も生み出していったのです。
新作も次々に発表しなくてはなりませんので、私のもとには「新作室」がつくられ、新しい作品が生まれていきました。
伝統ある日本人形を世界に発信し、人形が結ぶ平和を願い、文化交流、国際親善にも力を入れてまいりました。
日本人形を全国津々浦々、そして世界に広めることができたのは、我が学院の功績ではと誇りに思っております。今、声を大にして学院を褒めちぎりたい、そんな想いでいっぱいです。

東京人形学院講習風景

人形美術協会にて

新作の制作風景