小池緋扇について

緋扇の思い出

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02 マスク描きの原点

「藤娘」以来、私は相変わらず人形をつくりつづけていましたが、戦後、子どもの好きだった私が教師の資格を取り、幼稚園に初めて勤めた時のことです。先輩先生の中に、人形のマスクを描くベテランの人形作家がいらっしゃいました。
それまで、私がつくっていた人形のマスクは既製のもので、自分でマスクを描くなどとは思いもよらないことでしたから、早速先輩先生に一から手ほどきを受けることにしたのです。

元伯爵の出という先生は大変静かな方で、小首をかしげ、聞き取れぬほどの小さな声でつぶやくように、それはそれは丁寧に指導してくださいました。
先生の静かな遊ばせ言葉も、優しい笑顔も、小高い丘にあったキリスト教会の幼稚園から見た美しい夕景とともに、七十数年たった今でもしっかりと浮かんでくるのです。

半年後、身体を悪くして幼稚園を去ることになるのですが、この時の基礎が私のマスク描きの原点だったと思っています。

11歳で初めて作った日本人形「藤娘」との出合いも含め、今、これらのことを思い返してみると、偶然とはいえ因縁めいた出来事ばかりで、私は人形のために生かされ、なんと多くの幸福(しあわせ)・喜び・希望を与えられたことかと感無量になるのです。

幼稚園の先生をしていたころ幼稚園の先生をしていたころ